「えがお通信創刊までの道程」
1989.12.24: コラム「えがお通信」創刊号より
●交流分析との出会い
今の仕事に関わって間もなく12年目を迎えようとしておりますが、7?8年前までは今の私の姿をまったく想像もしておりませんでした。ただ与えられた女子社員教育を精一杯務めることが先決で、ひたすら交流分析の勉強とそれを通して自分を見つめることに終始していたように思います。
常にエンカウンター・グループのような雰囲気の職場でファシリテーターとしての感覚を次第に身につけて参りましたが、厳しいフィードバックには、時に数ヶ月も立上がれないこともありました。
しかし今になって思えば、それができるチャンスと仲間がいたからこそ、現在の私があると思えます。
一方社員教育でも実に大勢の人との素晴らしい出会いがあり、交流分析への魅力はますます強まり、私の子育てにも大きな影響を与えてくれました。ここで出会った多くの女性から、一人でも多くの女性、特に母親に交流分析を教えてあげてほしいと常々言われ続けておりましたし、私自身も、親子関係の問題を聞くにつけても何とかしたいと思うようになりました。
●フリーとなり、カウンセリングと出会う
いろいろ考えた末フリーの道を選び、勉強のためにカウンセリン講座を受けました。そこで出会った先生が杉溪先生でした。講座で学んだことは社員教育で教えていたことと一致点が多く、カウンセリングの理論はそれまでの体験のうえにまるで吸取紙が吸い取るように気持ちよく心に染み込んで参りました。
●CHRならではの活動を目指して…
S.62年12月、それまでずっと温めてきた思いを形にするべく、母親のための勉強会を作りました。「母親笑顔教室」と名づけたその教室には、身近な問題を話し合いながら交流分析やカウンセリング・マインドが自然に学べ、心から笑顔の美しいお母さんがいっぱい増えるといいなぁーという私の夢が込められていました。月1回の集まりですし、固定したメンバーの会ではありませんのに、それぞれの成長が感じられ暖かく和やかなグループとなっっていったことに大変感動を覚えました。
この「母親笑顔教室」と今回創刊の「えがお通信」の命名は、杉溪先生のお知恵をお借りしてつけたものです。
社員教育の受講生や各地で行う講演会の折りに、私への最高のストロークとして与えられる言葉に、私の笑顔への賞賛が多いことからきたものです。
それまで全然意識したことはなかったのですが、笑顔を誉められたことは他の何を誉められるよりも私にとっては最高に嬉しくいつまでも一番大切にしたいと思っております。それだけに先生からこのネーミングを頂いたことは最高の賜物でした。