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「還暦という節目と目標設定」

2001.8.3:コラム…「CHRニュース」Vol.11より

●還暦を祝う会

 去る6月3日、広島市内のホテルで「還暦を祝う会」が行われました。知り合いの人の還暦を祝う会に出席したと言いたいところですが、実は同期会でした。

 3月のある日、広島の友人からの電話で同期会があることを知らされました。しかも、小学校・中学校時代のです。過去に一度中学校の同期会の案内をもらったことはありましたが、仕事のスケジュールが入っていて、とても残念な思いをしたことがありました。今回はその日の前後数日だけが空いていたのです。

 ホテルでのパーティーに先立って、希望者は広島市内の有名な神社にお参りをするという案内だったのですが、代表が行くのだろうと思い、私はホテルに直接行きました。早すぎたかなと思うくらい早くホテルにつきましたら、ロビーはそれらしき人で一杯。

 入るなり親しい友人の顔を見つけてほっとして、おもむろにみんなの顔を見渡しましたが、如何せん40数年ぶり。何人かが私を囲んで声をかけてくださるのですが、すぐわかる人とうーん?の人と。どこかから「原さんがまだ見えないと心配していたよ」(原さんは昔の私)との声。内心「えっ?こんなに早くきたのに」との疑問は、後日神社での集合写真を見て納得しました。ほとんどの人がお参りしていたのです。

 会場受付に移動するとき、何人かに肩をポントされたり、腕をぐっとつかまれたり。瞬間、勝手に口から「あーっ!○○ちゃん!」と。自分でもびっくりでした。受付でもまた次々と懐かしい顔、顔。遠来の客である私の参加は、主催者にとってとても嬉しいことのようでした。残念ながら若くして亡くなった方も数名ありましたが、世話人会の人たちの尽力で100名位のパーティーが和やかに行われました。

 この歳になると同じ年なのに差が大きくでます。まだまだ50代前半に見える人と、もっと年取って見える人と。男性の主だった人たちが次々と声をかけてきてくださるのですが,考えてみると初めて言葉を交わすわけでつい、「初めまして」と言ってしまいました。当時はよほど用事がない限り、異性の人と話すことがなかったのです。

 こうした会に参加を拒絶する人もあるとききます。理由は様々でしょうが,男性ですと地位を聞かれたくない、女性ですと夫や子供の自慢話に入れない自分を恥じてというのが多いとよく言われます。今回本当にそうした話題が全然でなかったのです。それは見事でした。私が何をしているか、夫や子供のことも全然聞かれませんでした。話題はもっぱら懐かしい思い出話ばかり。3時間でしたが、殆ど食べ物が残ってしまうくらい話が弾み、とても楽しい会でした。

●目標を掲げることの大切さ

 3月の電話を受け、参加を決めた時、私はある目標をたてました。それはダイエットです。なにしろ若い頃はとてもスリムな少女でした。みんなを失望させたくないと初めて本気になりました。おかげでワンサイズスリムになりましたが、本当のことをいうと、これは以前悲劇と思ったサイズです。8月には高校の同期会を控えていますので、まだまだ努力中です。長年痩せなきゃと思ってもなかなか実現が難しかったのですが,これは素晴らしいチャンスになりました。

●将来設計

 今年から来年にかけて殆どの人は定年を迎えます。定年が話題に上り始めた昨年だったと思いますが,同期生から「いつまで仕事を続けるつもり?」と聞かれたことがあります。それまで考えても見なかったことでした。

 ところが、還暦という節目になり(正確に言いますと私の還暦は来年1月です)半年くらい前からしきりと今後のことを考えるようになりました。昨年の誕生日にCHR研究所の10周年のパーティーを開きましたが,次の10年を考えた時、このままではダメだと思ったのです。研究員という形で講師やカウンセラーを育ててきましたが、もっと本格的にCHR研究所らしい人材の養成をしなければと思い至ったのです。

 一応カリキュラムもつくりました。私が現在仕事としていることの全てを、次の人にバトンタッチしたいと思います。それぞれの特徴をいかしながら、もっとも相応しい分野のエキスパートになるべくチャレンジしてくださることを願っています。仕事も大事ですが残された人生を人間らしく、大切にすごしたいと思うようになりました。

心豊かな人々と共に人生を楽しみたいと思います。こんなことを真剣に考える年になりました。

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