本文へ

 

「時の流れ・未来と過去」

2002.05.01:コラム…「CHRニュース」Vol.14より

●傘寿を祝う会

 杉渓先生の傘寿を祝う会を3月31日に開きました。有楽町の駅の下に、3月初旬にオープンしたばかりのJRの系列会社が経営する、スペイン料理の店「ギーニョギーニョ」は、お祝いの席にふさわしい空間で、杉渓先生をはじめ、NPサークル会員を中心とした20数名の参加者から喜ばれました。 そもそもこの店の存在を知ったのは、オープニングパーティーへの招待状を頂いたのがきっかけでした。その時は出張で参加することができませんでしたが、そのすばらしい招待状にこころ惹かれ、いつか行ってみたいと思っていましたので、この会を企画したとき、最初に候補としてあたってみました。

 電話での応対が悪ければ、使わなかったのですが、とても良心的で、こちらの希望を聞いていろいろ考えてくださり、おまけにかなりサービスもしていただけました。当日も丁重な応対ぶりで感じよく、多くの人たちが、家族とまたは友人と再度来たいと、口々におっしゃっていました。

 8年後、杉渓先生が米寿を迎えられるとき、CHR研究所はちょうど20周年を迎えます。一昨年10周年のパーティーをした時、まだ大分先のことと思っていましたが、すぐに年数が経ってしまいそうです。その年には先生の米寿とCHR研究所の成人式と合同のパーティーをしたいと思います。それまでに皆様はどのような姿になっていたいか、イメージを描き、実現に向けて行動を開始しませんか?それぞれが「私の○○を実現した祝い」を一緒にできるとすばらしい会になると思います。私も夢を実現させるべく真剣にとりくみたいと思います。

●息子の恩師

 事務所の近くに公立小学校があり、そこで3月末まで校長を務めていた先生は、三男の3〜4年生の時の担任の先生でした。それがわかった時から息子は会いたがって、2〜3度訪ねていきましたが、いつもタイミングが悪く、お会いすることができませんでした。今年で定年がわかっていましたので、3月に入ったころから、早く連絡をしてお会いすることをすすめていましたが、仕事が忙しかったり、ぐずぐずしていてなかなか機会をつくりませんでした。

 ようやく約束が出来た日は、先生が日吉に来る最後の日で、同僚の先生方とのお別れ会の後、20数年ぶりの再開となりました。急だったため友達も連絡がついたのはわずかで、しかも年度末の一番忙しい時で誰も集まれなかったのです。そんなことで私も途中から同席し、3人で思い出話をしながら飲みました。

 3年位前、駅でばったり出会い、それ以降も近くでお会いすることはありましたが、なかなかゆっくりお話する機会がもてませんでした。その最初にお会いした時、思わず「あら!先生!」といった私の顔を見て、「ただいま帰ってまいりました」とおっしゃったのです。名前こそすぐにはでませんでしたが、息子の当時の呼び名“おーちゃん”もすぐ出てきて、とても懐かしがってくださいました。

 私は非教育ママで、学校のことにはあまり熱心ではありませんでした。しかし、先生がよく覚えていて下さったのは、何度か先生と親たちとで飲み会をやり、そこには顔をだしていたからです。息子は何人もの先生にお世話になりましたが、とりわけその先生は大好きでした。それは、とてもこどもの心がわかる先生で、本当に一所懸命やってくださったのです。4月にクラス担任が発表になるとき、先生の名前が発表され持ち上がりと分かった時、子供達から歓声があがり次の先生の発表がすぐには出来なかったくらい、評判のよい先生でした。

 20数年ぶりの息子との再会をとても喜んで、こんな嬉しいことはないと、何度もおっしゃいました。

 クラスでバスを借り切って、親子で秩父に遊びに行ったことは、息子にも楽しい思い出となっていますが、「若い時って恐いもの知らずでしたね。今では考えられません」と。でもそうした無謀といわれる体験があったからクラスがまとまっていたと思えるのです。息子は先生からのびのび育てられたことをとても感謝しています。いろいろ話しながら飲みましたが、その時、先生が息子に向かって、「おーちゃん、お母さんに感謝しなきゃな。良いお母さんじゃないか」とおっしゃったのですが、次の息子の言葉に私はびっくりしたのです。「感謝してます。本当。めちゃくちゃ感謝してます。のびのび育ててくれて本当に良かったです」時々「え!」ということを言う息子です。母感激!!

このページのトップヘ